ブックタイトル宅建協会50周年記念誌

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宅建協会50周年記念誌

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宅建協会50周年記念誌

「逆境を生き抜く力」東国原英夫私のこれまでは逆境の連続です。なんでお笑い芸人になろうと思ったんですか?なんで政治家に転身されたんですか?とよく聞かれます。一言で言えば、小さいころからの夢なんです。小学校の一、二年生のときに、大きくなったらフランス人になりたい。という夢を持っていました。ナポレオンが好きで、ナポレオンの「我が辞書に不可能の文字はない」という言葉が好きでした。授業参観のときに大きくなったらなりたいものを一人ずつ発表させられたんです。私の番になって、「大きくなったらフランス人になりたい」と言った私に、先生の口から出た言葉は「頑張ればなれます」でした。その言葉が私の胸に響いたんですね。小学校の卒業文集に、政治家とお笑い芸人になりたい、と書いたのを覚えています。一見正反対の仕事に見えますが、両方とも人々を幸せにする仕事なのです。私の人生は、小さいころからの夢を実現するプロセス、と言っても過言ではないと思います。その後、東京の大学を卒業するときに漫才ブームがあったんですが、中でもツービートの漫才に衝撃を受け、押しかけてビートたけしさんの一番弟子にしてもらいました。そして、師匠共ども、1986年12月8日のフライデー事件、講談社に殴りこみをかける、という前代未聞の事件を起こしました。その結果、無期限謹慎です。普通だったらめげます。逆境のときに、それをどう乗り越えるか、というのがその人の真価だと思います。謹慎中は、くよくよしてもしようがない、それは神様に与えられた時間だから、と小説を書いたら、話題性もあって30万部くらい売れました。今度は、1998年、40歳のときにある不祥事を起こしました。自主謹慎をするんですが、そのときに、これからは社会貢献、地域貢献ということを真剣に考えなければいけない、と思いました。不退転の決意で宮崎県知事選に臨み、以来、私の政治理念は「東京一極集中は日本を滅ぼす」です。この国が活力を持ってやっていくために、これからも勉強、研究していこう、と思っている今日この頃です。さまざまな逆境の中で、私を支えたのは「不可能なことはない、頑張ればなれる」という言葉でした。逆境のときに胸に響く言葉は簡単な言葉なのです。0717